後で聞いたところによると、ユーラリールのプロジェクトがこの段階まですべてが外国人建築家、或いはパリのスター建築家によって占められていたので、地元の建築家達としては、この小学校にはリールの建築家を選びたかったというのが本音であったらしい。その頃、OMAのドナルド・ヴァン・ダンジックから電話があって簡単な身上調査があったのを覚えている。その後、結果的に我々のチームの案が選ばれた。フランスで初めて参加したディヴォンヌの幼稚園の設計競技に勝って以来10以上連敗した後だけに、このコンペは勝つことを忘れての試みだった。それが、逆に幸をそうしたのかもしれない。

 

フランスで私のような外国人建築家が仕事を得る唯一の方法は設計競技で、一時は年間100以上のコンペに応募をしていた。そのうち5%くらいに参加できれば良いほうである。最近では設計競技の応募資格がますます複雑になってきており、応募の数も限られてきている。

 

 

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