いずれにしても双方に言えることは建築を包む表皮が外部とのコミュニケーションの手段としてあり、そのスクリーンを通して日本の社会を表現してみようとしているのではないだろうかという気がしてならない。彼女の建築を見ていると常に移り変わる東京の全体像のような、何でも受け入れてしまい、どんなことにも対応してしまうような空間であって、決して確定したものではない。これは彼女が展覧会で使っていた“Fluctuation”という言葉からも分かる。

 

建築に被された表皮である皮膜には常に半透明とかを含めて透明性という考えが伴うが、そのアパランスが現実的空間に及ぼす影響は大きく、透明性という概念から離れて材料のアパランスがときには空間の質さえ決めかねないが、彼女は建築によってヴィーチュエルな空間を模索しているような気がしてならないのだ。

 

今回の展覧会にあわせてカタログとしてBirkhauserから近作の作品集も出版されているが、これには展示されていないものも数多く含まれている。

 

この後、オランダとベルリンそれに北欧で展覧会が予定されていると聞く。

 

 

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